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長妻昭議員と村山談話
立憲民主・衆議院。2006年10月27日から2025年11月7日まで、9日・6つの会議で、質疑10件。
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質疑の一覧
新しい順。各質疑の「質問と答弁をカードで見る」から、質問とその直後の政府の答弁を1枚にしたカードを開けます。
安倍談話でも、「進むべき針路を誤り、」というふうに言っておりますので。 ですから、こういうようなことは、ほかの国では戦争博物館というものがちゃんとあるわけで、日本も是非、国立の、政府がつくる、今細かいのが幾つか、三つぐらいありますけれども、それを統合しても結構ですので、こういう民間の貴重な資料をちゃんと集める、そういうものを、戦後八十年の節目、前向きに検討するという御答弁をいただきたいと思うんですが、いかがですか。
そうすると、これはちょっと初めての御答弁だと思うんですが、今まで高市総理、総理になる前ですけれども、首相になれば新たな歴史見解を発表して村山談話を無効にするというふうにおっしゃっておられたんですが、ということは、この村山談話については、これはもう了解する、自分もこの意見であるということなんですかね。 村山談話の肝のところは、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
そこで、今年は敗戦後八十年、あえて敗戦後と言うが、終戦では事の本質を間違える、私もそう思います、今を逃して戦争の検証はできないと。 私も、我が国がこの一連の昭和の戦争の検証、国策を誤りという村山談話がありました、どの国策がどういうタイミングで誤ったのか、これをきちっと検証しないと。
さきの戦争、それは村山談話は出てしまったものの、本当に心の底から間違った戦争だと思いたくない、そういうふうに私は受け取られてしまっても仕方のないような今の答弁だと思うんです。
そして、戦後七十年の談話についてでございますけれども、私は、戦後七十年というのは、今、戦場で戦った日本国民の方、少年兵の方でも、最年少、八十五歳ぐらいになっておられるのではないのか、七十年というのは、戦争の体験が、体験から歴史に変わる、この節目ではないか、非常に重要だと思っております。 その中で、総理が、何か細々としたというような表現で、個々の文章について、記述についておっしゃられるということについて、私は違和感があるわけでございますけれども、まず、ちょっと総理に基本的なことをお伺いしたいのでございますけれども、村山談話のみにある記述として、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、」国策を誤りという昭和の戦争についての記述がありますけれども、総理自身も、我が国は国策を誤ったというふうにお考えでございますか。
今のお金で二百兆円以上の税金をかけて三百十万人の命が奪われたさきの戦争でございますけれども、その戦争の総括としては、村山談話と言われるもので、政府として正式に談話を出したものの中に、国策を誤りというような文言がございます。
政府は、平成七年の村山談話で、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで」と公式見解を示しました。
そして、最後の質問でございますけれども、これも前回も麻生大臣に、昨年質問したと思いますが、村山談話というのがございまして、これは今でも政府の公式見解だというふうに言われております。 この村山談話の中に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで」云々、こういう記述があるんですね、「国策を誤り、」と。
このお配りした資料の五ページ目に、公述人の皆様方も見ていただければ幸いでございますが、五ページ目に、私が内閣に質問主意書という質問状を出しました質問と回答が載っておりますけれども、この村山談話という談話、これは今の内閣も認めている談話でございますけれども、その中に、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、」という政府の公式見解があります。
そういう意味では、もう一つの談話としては、村山談話というのも日本にはございます。
数えているのは「村山談話」「戦後七十年談話」「戦後八十年 談話」を含む、議員としての質疑です。質疑ができるのはその日その委員会で質問に立った議員だけなので、件数の差は熱心さの差ではありません。